問題になっている梅田望夫さんのtwitter発言について考察。

はじめに、結論から言えば、誰も「書評に対してのコメント」は書いてないし、ましてや「バカ」でもない、と思う。

はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。

という梅田望夫さんのtwitterでの発言が問題になっている。
発言に使われている表現に関しては、梅田さんの著書「ウェブ時代をゆく」を読み影響を受けた僕としては、著書でみられた知的さが感じられず少々残念に思う。


まず、この問題の流れを整理すると、
梅田さんが水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。という書評エントリーを書く。

はてなブックマークで、書評にある本を読まずに意見を書くコメントが付く。

梅田さんが上記twitter発言をする。

ちょっとした論争。
(全てに目を通した訳ではありませんが、「本じゃなくて書評に対するコメントなんだ!」「本も読まずに意見を書くバカが一定数居るのがコミュニティーサイト」といった感じ)



さて、そこで梅田さんの書評を読んでみると、

内容について書きだせば、それこそ、どれだけでも言葉が出てくるのだが、あえて今日はそれはぐっとこらえておくことにする。多くの人がこの本を読み、ネット上に意見・感想があふれるようになったら、再び僕自身の考えを書いてみたいと思う。

という風に、読書した上での意見、感想を求める気持ちが強く伺える。

また、梅田さんのtwitter発言には

本を紹介しているだけのエントリーに対して、

とある。


梅田さんとしては、「本を紹介しただけのエントリー」なんだから「本を読んだ上での意見」が当然レスポンスとして返ってくるべきだ、と思っていたのだろう。


しかし、はてブのユーザーは「本を紹介しただけのエントリー」とは捉えなかった。
いや、捉えられなかった。
なぜなら、梅田さんの書評には、上記引用部分に続いて、

一言だけいえば、これから私たちは「英語の世紀」を生きる。ビジネス上英語が必要だからとかそういうレベルの話ではない。英語がかつてのラテン語のように、「書き言葉」として人類の叡智を集積・蓄積していく「普遍語」になる時代を私たちはこれから生きるのだ、と水村は喝破する。そして、そういう時代の英語以外の言葉の未来、日本語の未来、日本人の未来、言語という観点からのインターネットの意味、日本語教育や英語教育の在り方について、本書で思考を続けていく。

と、本の内容要約が入ってしまっていたから。
特に前半の「英語の世紀」のくだりは、それなりにセンセーショナルで刺激的だった。
当然、この部分に対して意見を言いたくなる人も出てくる。
そして、書評全体に対してではなく、書評の中にあった 本のエッセンス=言説 に対してのコメントがはてブに書き込まれた。


言説に対するレスポンス。これ自体は決してバカな行為ではないと思う。
ただ、梅田さんが求めていたレスポンスとは食い違っていた。


つまり、今回の問題は、「読後の意見が欲しい」と思って本の紹介エントリーを書いたが、そのエントリーは期待したレスポンスをえられるような構造になっていなかった、という「すれ違い」の話なのではないだろうか。